大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 昭和37年(行)129号 判決 1969年1月25日

原告 尹秀吉

被告 東京入国管理事務所主任審査官

訴訟代理人 藤堂裕 外四名

主文

被告が昭和三七年六月二九日付でした原告に対する退去強制令書発付処分は、これを取り消す。

訴訟費用は被告の負担とする。

事実

第一当事者の求める裁判

(原告)

主文同旨

(被告)

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は、原告の負担とする。

第二原告の請求原因

一  原告は大韓民国(以下「韓国」と略称する。)人であるところ、昭和二六年四月一〇日頃勉学のため本邦に密入国し、昭和二七年九月東京大学理学部物理学科に研究生として入学し、昭和三〇年九月まで同大学において理論物理学を専攻していたものであるが、昭和三六年八月頃密入国の容疑で、東京入国管理事務所に収容され、同月一二日入国審査官田中角司より外国人登録令一六条一項一号に該当するものと認定されたので、右認定に対して口頭審理を請求したが、同年八月一九日特別審理官馬場順次から右認定に誤りはない、と判定された。原告は、右判定に対し、即日法務大臣に対し異議の申立てをしたところ、その頃同大臣から右異議の申立てを棄却され、同三八年六月二二日主任審査官山根重美から送還先を韓国とした退去強制令書の発付処分(以下「本件処分」という。)を受けた。

二  しかしながら、本件処分は、以下に述べる理由により違法である。

1  原告は、政治犯罪人である。政治犯罪人を本国へ引き渡してならないことは、確立された国際慣習法である。それゆえ、本件処分は、右国際慣習法に違反し、ひいては、確立された国際法規を誠実に遵守すべきことを規定する憲法九八条二項に違反する。また、本件処分は、逃亡犯罪人引渡法二条にも違反する。

(一) 原告は政治犯罪人である。

(1) 原告は、昭和三五年九月頃から在日本大韓民国居留民団(以下「民団」と略称する。)栃木県本部事務局長となつたが、右局長として在職中・左記の行為を行つた。

(i) 昭和三六年四月に行われた栃木県民団本部長の選挙にあたり、朴軍事政権により敵性団体とされている韓国社会大衆党の党員である訴外裴基鎬(同人は韓国で同党から国会議員選挙に立候補したが落選した。)を同団長に推薦し、右訴外人の選挙の責任者となつて運動一切を指導し、ついに同訴外人を同団長に当選させた。

(ii) 韓国社会大衆党の党員であり、かつ、民族日報社を設立して同名の新聞を発行し、南北朝鮮民族の平和統一を主張し唱導していた同社社長の訴外趙庸寿が、<1>東京で元進歩党党首曹奉岩の助命運動をした、<2>社会大衆党員である、<3>新聞を発行して南北朝鮮の平和統一を唱導したことが反国家行為(特殊犯罪処罰特別法六条)であるとして、昭和三六年六月、朴軍事政権によつて逮捕され、ついで起訴されたので、以来その助命運動をした。特に、

(イ) 昭和三六年九月初旬頃、日比谷野外音楽堂で同訴外人救命在日韓国人民衆大会を主宰し、その実行責任者となり、東京都並びに栃木県在住の韓国人多数を集めて朴軍事政権反対、同訴外人死刑反対のアピールをした。

(ロ) 韓民栃木新報の編輯長として、同新聞の編集をしたが、昭和三六年九月一五日号、同二五日号等において、朴軍事政権反対、右訴外人死刑反対の主張をくり返し掲載した。

(iii) 昭和三六年四月頃、朴政権により敵性団体とされている日本社会党の栃木県支部から親善を申し込まれたので、団長と相談の上右趣旨に賛同し、同党が同年五月頃宇都宮スポーツセンターで労働者慰安演芸会を行うにあたり、民団より二万円を寄附し、その際受け取つた右演芸会の切符二〇〇枚を民団各支部に分配したが、その分配にあたり、日本社会党の政策に賛同するよう要請する趣旨の文書を添付した。

(2) 右のように原告は、社会団体の重要な職位(民団栃木県本部事務局長)にいた者で、国家保安法(昭和三五年五月三〇日公布、同日施行)第一条(政府を僣称するか国家を変乱する目的で結社または集団を構成した者――別紙第一)に指定された反国家団体(韓国社会大衆党、民族日報社、日本社会党)の情を知りながら、その団体あるいはその活動に同調その他の方法でそれを助けた者であつて、特殊犯罪処罰特別法(昭和三六年六月二一日公布、公布の日から三年六月までさかのぼつて適用)六条(別紙第二)に該当し、又(1)(ii)の行為は反国家団体(韓国社会大衆党、民族日報社)とかその構成員(趙庸寿)の活動を讃揚、鼓舞またはこれに同調するとか、その他の方法で反国家団体を利する行為をする者、前項の行為をする目的で文書、図画その他の表現物を製作――保管、運搬、頒布、販売――した者(反共法(昭和三六年七月四日公布、同日施行)第四条――別紙第三)に該当し、

さらに、前示(1)の(ii)の(イ)の行為は、集会臨時措置法(昭和三六年九月八日公布、同日施行)(別紙第四)第一条の規定に違反して集会を開催した者であつて、同法第三条に該当し、いずれも各該当法条に従つて処罰を免かれないものである。

ちなみに、韓国刑法によれば、「本法は大韓民国領域外で罪を犯した内国人にも適用する。」(三条)、「本法総則は他法令に定められた罪にも適用する。但し、その法令に特別の規定がある場合は例外とする。」(八条)と定められているが、前記特殊犯罪処罰特別法、反共法、集会臨時措置法には、特別の規定が存在しない。

(3) 特殊犯罪処罰特別法は、朴政権によつてその軍事革命を完遂するため、「国家再建非常措置法(昭和三六年六月六日公布、同日施行、別紙第五)二二条一項に規定された犯罪行為を処罰するのを目的として」(特殊犯罪処罰特別法一条)国家再建最高会議によつて制定されたものであり、国家再建非常措置法二二条が「革命以前または以後の反国家、反民族的な不正行為または反革命者を処罰する為特別法を制定できる」と規定していることからみてもその内容が、政治的色彩の強いものであることはいうまでもない。

反共法も国家再建最高会議によつて制定されたものであるが、同法一条には「本法は国家再建課業の第一目標である反共体制を強化することによつて国家の安全を危地においやる共産系列の活動を封鎖し国家の安全と国民の自由を確保する事を目的とする」と規定し、その内容と相まつてその政治色をむき出しにしている。

集会臨時措置法についても、内容自体からみられるとおり反対者の集会を一切認めないものであつて、前記諸法律と全く同様である。

すなわち、これらの法律は、朴政権がその主張する反共国家体制ないし秩序を維持強化することを目的とし、その秩序を侵害するか、そのおそれある行為を厳罰に処しようとするものであつて、これにより処罰される行為は、もつぱら政治的秩序を侵害する行為というべく、いわゆる純粋な政治犯罪である。

(4) これを要するに、原告の前記各行為は、普通道義的または社会的にはなんら非難さるべき行為ではないのであるが、韓国の政治弾圧立法である前記諸法律によりはじめて犯罪とされる、いわゆる純粋の政治犯罪であるから、原告は、政治犯罪人に該当するというべきである。

(二) 政治犯罪人不引渡しの原則は国際慣習法である。

(1) 政治犯罪人については引渡しを行わないということは、現在、国際慣習法上も、条約締結の実際においても学説上も一般に確認されており(横田喜三郎法律学全集国際法II一七六頁、高野雄一法律学講座、国際公法二一二頁、田村幸策、有斐閣国際法中巻一五七―一五九頁、一又正雄「密入国と政治亡命」ジユリスト二一八号三六頁―三七頁 英Oppenheim-Lauterpacht,International Law I. p. 643,米Hackworth,Digest of International Law vol. IV,p. 46,米Briggs,The Law of Nations,1952,p. 596,独H. Siebenhaar,Der Begriff des politischen Delikts im Auslieferungsrecht,1939,独H. Grü

国際条約は、突然作られるものではなく、すでに存在する国際的な慣習ないし慣習法を明確、具体的にして「国際関係をより合目的的に調整しようという国際的な要求を反映し」(田畑茂二郎法律学全集国際法I九二頁)て締結されるものであつて、犯罪人を除外する規定が挿入されるのが通例であるところから、政治犯罪人不引渡しの原則が生まれたものではない。国際慣習法として、すでに存在した政治犯罪人不引渡しの原則を各国家間の犯罪人引渡条約において確認し明言したのにすぎないものである。このことは右原則発生以来の歴史に徴し、疑いを容れない。

(2) 国際慣習法としての政治犯罪人不引渡しの原則は、政治犯罪人を引渡要求国に引渡してはならない義務を居住国政府に課するものである。

一般に国家は、通商航海条約等で規定されている場合を除いて、外国人の入国出国については、国際法上自由に決定し得るとされている。

逃亡犯罪人についても、本国政府に引き渡すか否かは、本来国家の自由とされている。しかし、国家間に犯罪人引渡条約が締結された場合には引き渡す義務が生ずるが、その際にも政治犯罪人については引き渡さないという条項を設けるのが通例であつた(明治一九年締結の日米間犯罪人引渡条約参照)。犯罪人引渡条約がない場合には、普通犯罪人を引き渡すか否かは国家の自由とされていること前述のとおりであるが、その際政治犯罪人については、どのように考うべきであろうか。普通犯罪人と同様に取り扱えないことは、政治犯罪人不引渡しの原則が確立されている以上当然である。けだし、国家が政治犯罪人を引き渡さない義務はないとすると、国家が自ら引き渡すことはなんらさしつかえないことになつて不引渡しの原則は無意味となるからである。この場合には、理論上は勿論、論理上も要求国に引き渡してはならない義務を居住国政府に課するものと解すべきである。すなわち、国際慣習法上、居住国は政治犯罪人を要求国に引き渡す義務がないばかりでなく、引き渡してはならない義務を負うものである。そして右不引渡しの義務は、国際法上の義務であるが同時に、憲法九八条二項により、日本の国内法上の義務ともなり、これにより政治犯罪人は、日本国政府に対し、本国への不引渡しを請求する国内法上の権利を有するのである。

(3) もちろん、原告は、本国政府によつて起訴または有罪の判決を言い渡されたものではない。また、本国政府からその引渡しを要求されているわけでもない。しかし、本国へ送還された時は起訴、処罰されることは必至である。思うに起訴、刑の確定の前後により、また、引渡しを要求されているか否かにより、政治犯罪人であるか否かを区別するのは妥当ではない。それは、政治犯罪人であること、その処罰の蓋然性を示す徴表に過ぎない。従つて、政治犯罪を行つたこと、処罰の蓋然性が認められる以上、政治犯罪人として処遇すべきである。けだし逮捕や起訴されていなければならないとすると、国の法制によつては逃亡している犯人は起訴できないことがあるし(日本刑事訴訟法二七一条参照)、逮捕や起訴されない間にいち早く逃げた犯人は引き渡されるが、逮捕や起訴された後逃げた犯人は引き渡されないということになつて均衡を失することになる。また、逮捕や起訴されただけで政治犯罪人であるとすることは近代刑法の原則である無罪の推定に反するものである。引渡要求の有無による区別も正当でない。引渡要求がなければ引き渡してもよいとすると、政治犯罪人であつても密航者として引き渡されるということになつて右原則が無意味になつてしまうからである。

(三) 政治犯罪人である原告に対し韓国に退去強制を命ずる本件処分は違法である。

(1) 退去強制と政治犯罪人不引渡しの原則との関係

「退去強制」は、一般的にいえば、「引渡し」と同一ではないから、原告に対し日本国からの退去強制を命ずる本件処分は、ただちに前記国際慣習法に違反するとはいえないという意見がありうるかも知れない。

しかしながら、出入国管理令五三条によれば、退去強制を受ける者は、その本国へ送還されるのが原則であり(同条一項)、それができない場合に、本人の希望によつて、同条二項一号ないし六号記載の各国へ送還されることになつている。したがつて、退去強制令書の発付処分は、原則としてその本国へ送還することを意味する。現実にも、被告は、本件処分によつて原告を本国(韓国)へ送還しようとしている。してみれば、退去強制は、結局原告を本国へ引き渡すこととなんら実質的に異なるところはないから、退去強制についても、政治犯罪人不引渡しの原則は適用さるべきである。

(2) 本件処分の具体的違法理由

(i) 本件処分は、被告が法務大臣から原告の異議の申立てが理由がないと裁決した旨の通知を受けて行われたものである。換言すれば、本件処分は、法務大臣の裁決に基づいて、その趣旨どおりに行われたものであつて、その間に、被告において、その送還先を本人の希望により変更する以外に、裁量を容れる余地はない。したがつて、法務大臣の裁決の違法は、当然本件処分を違法ならしめるというべきである。

法務大臣の裁決は、出入国管理令に基づいて行われる(同令二四条)が、同令五〇条一項三号によれば、法務大臣は、「特別に在留を許可すべき事情があると認めるとき」は、その者の在留を特別に許可することができることになつている。原告を退去強制することは、前記国際慣習法に違反し、ひいては憲法九八条二項に違反することになるのであるから、法務大臣は、原告の異議申立ての裁決をするにあたり、すべからく出入国管理令五〇条一項三号を適用し、原告に対し特別に在留を許可すべきであつたのに、これをせず、異議申立てを棄却する裁決をしたのであるから、右裁決は、前記国際慣習法並びに憲法の前記条項に違反し、無効であることは明らかである。したがつて、右裁決に基づいてなされた本件処分もまた前記国際慣習法並びに憲法の前記条項に違反し、無効であるといわなければならない。

(ii) 仮に、右異議申立てを棄却した法務大臣の右裁決が違法無効と認められないとしても、被告が送還先を韓国と指定してした本件処分は、前記国際慣習法ならびに憲法の前記条項に違反し、無効のものである。

(iii) 本件処分は、また、逃亡犯罪人引渡法にも違反する。

原告が前記の各行為を行つた当時の日本の逃亡犯罪人引渡法(昭和三九年法律第八六号による改正以前のもの)によれば、日本との間に逃亡犯罪人引渡条約を締結している国から、政治犯罪人の引渡し、または政治犯罪について審判し、もしくは刑罰を執行する目的で逃亡犯罪人の引渡しの請求があつたときは、日本政府は、逃亡犯罪人を引き渡してはならない、と定められている(同法一条、二条)。右引渡法は、直接には、条約の締約国から逃亡犯罪人の引渡しの請求があつた場合の国内手続を定めたものであるが、政治犯罪人についていえば、条約により引渡義務を負う締約国に対してさえ、引き渡してはならないと定められているのであるから、引渡義務のない締約国以外の国に対しても当然引き渡してはならないと解さなければならない。このことは、改正後の同法が条約の締結国のみならず、請求国から日本国が行なう同種の請求に応ずべき旨のいわゆる相互主義の保証がなされたとき(法三条二号)にも引渡義務を認めることになつた結果、いまやいかなる国からの引渡請求に対しても、政治犯罪人を引き渡してはならないことになつた、と解釈されている学説の動向(小田鑑定)に徴しても当然であるというべきである。

また、逃亡犯罪人引渡法は、引渡請求があつた場合の手続規定であるが、同法二条一、二号は、国際法上の政治犯罪人不引渡しの原則を、国内法上において規定したものであるから、引渡請求の要否、訴追や刑の確定の要否等同条の解釈適用は、国際慣習法上の原則に従うべきである。そして、国際法上の政治犯罪人引渡しの原則において、これらが必ずしも要件でないことは、既に述べたとおりである。したがつて、逃亡犯罪人引渡法二条の政治犯罪人の場合にも、これと同様に解することができる。

してみれば、原告が政治犯罪によつて処罰されることが明らかな韓国に強制送還する本件処分は、逃亡犯罪人引渡法二条に違反するといわなければならない。

2  原告は、また政治難民でもある。政治難民を迫害の待つている国へ追放してはならないことは、確立した国際慣習法である。それゆえ、原告を韓国へ退去強制する本件処分は、政治犯罪人の場合と同様の理由により、確立した国際慣習法ひいては憲法九八条二項に違反し、無効である。

(一) 政治難民とは政治的理由により本国において、迫害を受ける十分な根拠があり、その為に外国にのがれ、または、現在外国に居る者であつて、このような恐怖のために、自国の保護を希望せず、帰国しようとしない者(難民の地位に関する条約第一項Aの(2))である。

原告が政治的理由による迫害に対する恐怖のため帰国しようとしない者であることはいうまでもなく、そして、前述のような政治的な刑罰諸法規の存在と、原告の前記各言動のみによつて、原告が政治的理由により本国において迫害を受ける十分な根拠があるといいうるのであるが、さらに、それを補強する事実を示せばつぎのとおりである。

(1) 前述の民族日報社長趙庸寿、同党常任監査役安新奎、韓国電通社長宋志英等は韓国内外の新聞人、文化人の救命運動にもかかわらず、朴軍事政府から、特殊犯罪処罰特別法六条違反として死刑を宣告され、趙庸寿はついに昭和三六年一二月二一日処刑され(公知の事実)、他二名はいずれも無期懲役に処せられた。

(2) 昭和三六年九月一四日、旧韓国社会党の組織部長崔百根、同党幹部河泰煥、同文熹中等は、いずれも特殊犯罪処罰特別法六条違反として、崔百根は死刑、他二名は懲役一五年の刑の宣告を受け、同年一二月二三日執行を受けた。

(3) 同年一〇月一六日、韓国社会大衆党の幹部金達鎬、金明河、趙中燦も右同様の罪により、金達鎬は懲役一五年他二名はいずれも懲役一二年に処せられた。

(4) 同年九月三〇日、韓国における学生統一運動の団体である民族統一学生連盟の幹部、柳根一、李銖乗、尹埴、金承均、盧源太、李栄一、黄健、沈截沢、延賢培の九名も、前同様特殊犯罪処罰特別法六条違反としてそれぞれ懲役五年ないし一五年の刑に処せられた。

(5)(i) 昭和三七年一一月頃、大村収容所から韓国へ強制送還された密入国者のうち一一名が、大村収容所で六ケ月ないし一年間スパイ教育を受けた北朝鮮のスパイであるという嫌疑で同月三〇日に朴政府により逮捕された。

(ii) 昭和三八年二月一日、大村収容所から強制送還された韓国人一五八名のうち、七六名が拘束された。

一般に、政治犯罪人不引渡しの原則と難民保護の原則とは、前者は個別発生的であり、政治的理由に基づき、国家の利益を主とし(その反射的効果として個人が救済されるに過ぎない)、犯罪人を引き渡さないことは国家の権利とされているのに対し、後者は、集団発生的であり、政治的理由だけでなく、宗教的、思想的または経済的理由に基づくものであり、難民の人権尊重を主たる動機とし、難民を保護することが国家の義務とされているのである。換言すれば、政治犯罪人であるためには、その犯罪の構成要件に厳格に該当すること、本国において犯罪とされることが必要であるのに反し、難民であるか否かは、犯罪を理由とするものではないことと相俟ち、その構成要件自体広く、その認定も厳格ではなく、その救済の範囲を広げようとする。結局一八世紀から二〇世紀に至る政治、経済、思想の変遷、特に国家万能思想から人権尊重思想への発展に基づくものである。この見地から、原告は難民特に政治難民というべきである。

(二) 政治難民を迫害の待つている国へ送還してはならないことは、国際慣習法である。

(1) 国際的な難民救済機関による難民保護の沿革的および制度的意義について

(i) 国際連盟時代の難民問題

国際的な難民問題は、ロシア革命による多数のロシア人(白系ロシア人)の難民化に端を発した。

一九一二年九月ナンセン博士がロシア亡命者高等弁務官となり、難民に対するいわゆる「ナンセン旅券」の発給等の難民の組織化を主とする活動がなされ、一九三〇年ナンセン博士の死亡後も、国際連盟の後援の下にナンセン国際難民事務局が設立され、一九三八年まで自主的に人道的活動を行つた。

その間に、ドイツにおけるユダヤ人迫害が発生し、一九三三年にドイツ難民のための難民高等弁務官が設けられ、一九三八年に難民単一高等弁務官が設けられ、ロシア並びにドイツ難民の双方を処理することとなり、人道的立場からする協力を容易にし、難民の移住と永住を促進するための援助を行つた。

他方、一九三八年に開かれた国際会議で政府間難民常任委員会が設立され、当初は、ドイツからの難民を対象としたが、一九四三年から全ヨーロツパの難民も含めることとなり、米国、英国、ソ連その他多数の国がこれに参加していた。この委員会は、難民の保護、扶養、移転を任務とした。

(ii) UNRRAの設立

一九四三年に四四カ国(後に四八カ国)によつて、連合国救済復興機関(略称UNRRA)が設立され、第二次世界大戦の結果生じた多数の避難民の帰国の援助の任務にあたつた。

(iii) IROの設立

一九四六年国際連合社会経済委員会により国際難民機関(IROと略称)の設立が勧告され、IRO準備委員会が設立され、亡命者と戦争避難民を対象とする国際機関の設立が計画された。

この討議の間、亡命者と戦争難民の措置について、これらの大多数の生じた白ロシア、ポーランド、ウクライナ、ソ連、ユーゴスラビアの諸国と、米英仏その他の難民等のキヤンプを管理し、また、それらの再定着に関係のある諸国との間に見解が分かれた。すなわち、難民等の発生した諸国は、問題の唯一の解決策は彼等の帰国にあるとし、難民等に関する国際機関が設立されるとしたら、単に帰国に関する法規のみが設けられるべきであつて、再定着の手段は厳に差しひかえるべきであると主張し、他の国連加盟国の大半の国々は、帰国は難民に強制さるべきではなく、戦犯者と戦争協力者以外の者で、十分に根拠ある理由から帰国を希望しない者に対する解決策は再定着であると主張した。

このようにして、一九四八年運転資金の七五%を負担する一五カ国がIRO憲章の当事国となることによりIROは発足し、一九五一年までその活動を続けた。IROの職能は、本機関の対象となる人々を受け入れる事が可能で、また、意図する国々に帰国させ、身分保証をし、登録し、分類し、保護し、援助し、法律的政治的に保護し、移住させ、再定着させ、復職させることであると規定された。この機関の活動対象となる亡命者は、その本国又は定着地を離れている者で、ナチス、フアシスト、フアランフヱ制度の犠牲となつたもの、または、民族、宗教、国籍、政見の理由で第二次世界大戦勃発前に難民とみなされた人々であり、戦争避難民とは、これらの制度により強制労働または民族、宗教、政見の理由で本国又は定着地から追放された人々をいうものとされている。

IROが存続中、その活動によつて、七万三千人の避難民が帰国し、百三万余人が米国、オーストラリア、イスラヱル、カナダ等の諸国に再定着した。

(iv) 国連難民高等弁務官事務所の設立

一九五一年にIRO廃止後の難民の国際的保護機関として国連難民高等弁務官事務所(略称UNHCR)が発足した。同事務所規程に定めるその職能は、国連の援助のもとに、難民を国際的に保護し、政府または当事国の承認のもとにある民間団体が難民の同意帰国または新地域における同化を容易にして難民問題を永久解決することにあるとされている。同機関は、この目的のために種々活発な活動を行つた。同機関の活動の対象とされた難民は、一九五一年一月一日以前に生じた事件の結果として、かつ、民族、宗教、国籍又は政見を理由として迫害を受けている充分な根拠のあるために自国外に住み、自由に帰れない者であつて、個人的利益からでない恐怖その他の理由により自国の保護を受けることを希望しない者或いは国籍を持たず従来居住していた国を離れている者でその国に帰れない者又は個人的利益からでない恐怖その他の理由により自国に帰ることを希望しない者とされている。

なお、白ロシア、チエコ、ポーランド、ソ連、ウクライナは帰国のみが難民問題の解決策であるとして同機関の設置に反対した。

(v) パレスタイン難民及び朝鮮難民に対する救済

別にパレスタインの紛争の結果生じたアラビヤ人及びユダヤ人難民の救済のため一九四八年にパレスタイン難民救済局が設けられ、また、朝鮮動乱の結果生じた難民の救済のために、国連朝鮮再建局、統一司令部、朝鮮市民援助司令部等の機関によつて一九五一年ないし同五三年に多数の難民の救済が行われた。

(vi) 難民の地位に関する条約

一九五一年七月UNHCRの参加の下に二六カ国によつて開かれた全権会議において難民の地位に関する条約が採択され、一九五四年四月二二日発効した。この条約は、一般的に難民の処遇を定めたものではなく、第二次世界大戦前の各種条約及び協定中で難民とされていた者、IRO憲章で難民とされている者及び一九五一年一月一日以前に生じた事件の結果として、または、民族、宗教、国籍、特定の社会団体に属すること、政見の理由で迫害を受ける確実な恐怖のために本国を離れている者であつて、本国の保護を受けることが不可能またはこのような恐怖のためにこれを希望しない者、或いは、無国籍者であつてこのような事件の結果としてその前住地を離れ、そこに帰ることが不可能またはこのような恐怖のためにそこに帰ることを希望しない者を対象としているのである。

なお、締約国は、この条約署名、批准、加入に際し、一九五一年一月一日以前に発生した事件という字句は欧州において生じたものに限るかまたは欧州のみならずその他の地域において生じたものを含むか、そのいずれを選択するかの声明をすることになつている。

本条約は、難民の最小限度の権利を条文化したもので、三一条には、「締約国は、生命および自由がおびやかされた国から、その国家の認可なく入国し直ちに亡命国当局に自首して、その不法入国に関する確実な理由を提示した難民に対し、不法入国又は不法在留の名目にて刑罰を科してはならない……。条約国は、当該難民に必要期間の滞在を認めるべきであり、また、他国への入国が許されるためのあらゆる必要な便宜を図らなければならない。」、三二条一項には、「条約国は、国家保安、または公共秩序の理由を除いては、その国土から難民を合法的に退去させることはできない。」、三三条一項には、「いかなる条約国も、難民をその種族、宗教、民族、或いは政治社会的意見の相異によつて生命及び自由が脅やかされている国にどのような方法を使用するにしろ追放してはならない。」、三四条には、「条約国は難民の帰化及び同化を可能な限り最善に促進しなければならない。」と規定するほか、各条約国は、難民に対し、一般に外国人に適用している規則に従つて居住地を選択し、自由にその領域内に移動する権利を認むべきこと(二六条)、その領域内において有効な旅券等を所持していない難民に対して身分証明書を発給すべきこと(三七条)、難民が居住国以外の外国を旅行する場合、旅行に必要な書類を発給すべきこと(二八条)、賃金雇傭に関し、難民がそのすべての権利を、当該国民と同様に享受できるよう特別の同情的配慮を与えるべきこと(一七条三項)、締約国において自由な裁判権を保障すべきこと(十六条)等を規定している。

(2) 難民は保護すべきであつて、その本国へ強制送還することは許されないという諸国家の法的信念の存在について

(i) 国際連合憲章

憲章では、基本的人権の保障を重視し、前文で「基本的人権、人格の尊厳と価値、男女の……平等の権利に関する信念をふたたび確認し」、本文では、国際連合の目的の一部として「人種、性、言語、宗教の区別なく、すべての人のために、人種と基本的自由の尊重を助長し、奨励することについて、国際協力を達成することとし(一条、五五条)、総会は研究を発議し、勧告する(一三条)。経済社会理事会も研究、報告、発議を行い、勧告することができる(五五条、六三条)し、また経済的社会的分野における委員会、人権の伸長に関する委員会並びに自己の任務の遂行に必要なその他の委員会を設ける(六八条)と規定する。この規定に基づき国際連合経済社会理事会が一九四六年六月二一日の決議により、人権委員会が設立され、これを中心として人権宣言の起草その他の人権保障の具体化を企図するに至つた。

人権尊重ということは、自国民に対してのみではなく、自国内にある外国人に対しても国家は人格尊重の義務があるといえるのである(国際法講座第二巻八頁、国際法と外国人の地位)。

このように、人権の問題はより一般的な、すべての国家に共通な課題というかたちで取り上げられる傾向を示しているのが特徴的である(田畑茂二郎国際法I五二頁)。

(ii) 世界人権宣言

国際連合の人権委員会は、世界人権宣言を起草し、一九四八年一二月一〇日に、総会によつて採択された。同宣言は基本的人権尊重を詳細に規定するが、特に「何人も、迫害からの保護を他国において求め、かつ享有する権利を有する。」(一四条)、「何人も自国を含むいづれの国をも去る権利を有する。」(一三条二項)と規定している点は重要である。この世界人権宣言は、前文でもうたわれているように「すべての人民とすべての国とが達成すべき共通の基準」を表示したのにすぎないものであつて、それ自体国家を直接拘束する法的な効力はもつていない。国際人権章典としてのかたちをととのえるためには、さらに内容を条約化した国際人権規約およびその実施措置を制定する必要がある。そのため、国連総会は、一九六六年一二月一六日「経済的、社会的および文化的権利に関する規約」と「市民的および政治的権利に関する規約」を採択した。右規約は条約として締結国を法的に拘束する。

かくして、「同宣言は、基本的人権に国際的保障の基礎を与え、今まで国内法上の客体と考えられていた個人に、国際法上の地位を承認した。この点ではまことに画期的な宣言である。世界人権宣言は、いまだ個人に国際機関に直接訴へる救済請願の途は開いていないが、基本的人権の問題が、世界の関心事となつたことを示し、単純な「国内管轄事項」ではなくなつたと考えられる。」「人権の保障は、これを侵害せんとする国家権力の制限の面において発動する。今までの人権の保障は、国内憲法の規定に基づき、人民自らの手によつてこれを確保してきた。国際的人権保障は、国際権力によつて国家の権力を制限せんと企てるものである。これは独立権を主張する国家の好まないところで、国内事項不干渉の原則を以て、かかる国際的な干渉を拒否しようとするであろう、国家がその領域内においてその人民を如何に取扱うかは、その主権行使の範囲内にある事柄で、正しく国内事項であつたかも知れないが、国際法が発達してその支配圏を拡大するならば、保留された国内事項は狭ばめられざるを得ない。国際人権章程が成立し、基本的人権尊重が国際条約上の義務と化するならば、国内の自国民の待遇如何も国際問題となるであろう。」(大平善悟国際法講座二巻二八頁)。

日本は、サンフランシスコ平和条約(日本との平和条約)の前文に「日本国は……あらゆる場合に国際連合憲章の原則を遵守し、世界人権宣言の目的を実現するために努力……する意思を宣言」したのであつて、基本的人権を尊重すべきことを定めたものである。

(iii) 密航者に関する条約

一九五四年イギリスのブライトンで開催された万国海法会において密航者問題を検討する専門委員会が設けられ、一四カ国の代表によつて密航者に関する条約草案が討議されたが、一九五五年六月三日作成された第一次草案においては、「船長は、密航者が政治難民であるときは、彼が政治難民として逃れてきた国の如何なる港にも、その密航者を下船させてはならない。」(二条末項)としていた。また、一九五五年マドリツド会議において採択された「密航者に関する国際条約案」においては、「本条約の規定は、締約国が政治難民を許容する権利または判断に関する如何なる国内法或いは国際法または憲法上の慣行にも影響を及ぼすものではない。」(五条二項)の規定となり(賛成十一国、反対三国、棄権一四国―日本も含む)、この草案に基づいて一九五七年一〇月一〇日ブラツセルにおいて締結された「密航者に関する条約」においては、「この条約の諸規定は、締約国が政治上の逃亡を許容する権利と義務をいささかも妨げるものではない」(五条三項)と規定されている(高梨公夫「密航者の取扱の統一に関する万国海法会の条約案について」海法会誌復刊四号、同氏「密航者法論」二九、八一、九六、一二四、一六九頁、小町谷操三「密航者に関する条約の研究」民商法雑誌三九巻第一、二、三号)。

(iv) 難民の地位に関する条約

本条約が、一九五一年七月二八日ジユネーブで締結されたときに、これに参加した国は二六国であつたが、その後本条約を批准しまたは加入した国は現在では三九国になつた。現在においては世界の主要国は殆んど加入しているのである。

この条約によつて、「加入していない第三国に直接義務を課することはできないが、しかし、条約の内容が締約国以外の国家にも漸次認められ、慣習国際法として一般化するというかたちで、条約が――条約そのものとしてではないが――妥当範囲を拡大するという場合はないわけではない。また、条約に「加入条項」が挿入されており、第三国の加入が認められている。いわゆる「開放条約」の場合には、第三国が加入すれば、条約の妥当範囲はそれだけひろくなる。」(田畑茂二郎国際法I巻九六頁)。

(v) 国連総会による、一九五七年一一月二六日の中国難民救済に関する決議(一一六七号)、一九五八年一二月の国連難民救済年に関する決議等は、いづれも国連加盟の多数の国家が、難民救済事業に協力すべき国際法上の義務あることを承認したものというべきである。

(vi) 国連総会における避難権に関する決議の採択国連総会は、一九六二年一二月一九日、万場一致で避難権に関するその前文と第一条の宣言草案を採択したが、右の前文と第一条の宣言草案は、つぎのとおりである。

前文「国連憲章の宣言が国際平和と安全を目標としている点に留意して、すべての国家間の友好関係を促進し、経済的社会的文化的または人道的性格を帯びる国際問題の解決を、国際協調によつて達成しようとし、人権の尊重と基本的自由の推進を種族、性別、言語、宗教の相異を問わず確保させることを目的として、国連の人権宣言第十四条の一項、二項を今一度再確認する。そして、人権宣言第一三条二項を想起して人権宣言第一四条に基づく訴追権を有する人々に各国が避難権を与えることは平和的人道的行為であることを認める。」

第一条の宣言草案「(A)世界人権宣言第一四条に依拠して訴追の資格を有する人々または植民地主義との斗争から逃れてきた者に対する各国の主権行使に基づく避難権の賦与はすべての人々により尊重されねばならない。(B)避難を求め享有する権利は国際機関で規定するところの人道に対する重大な犯罪または平和の破壊者とみなされる者には訴追権の援用は許されない、(C)避難権を賦与するに際してその理由を評定するのは各国に留保されるものとする。」

(vii) 難民保護に対する日本政府の態度

日本は、現在、難民の地位に関する条約に加入していないが、昭和三七年八月二四日の第四一回衆議院法務委員会において、日本政府は「難民の地位に関する条約の趣旨には賛成であるから、加入すると否とを問はず人道を尊重するという原則で行動すべきことは当然であり」、「十分人道上の立場を尊重して対処して参りたいと考えておる」ことを明かにした。

さらに、歴代の法務大臣も、政治犯罪人ないし政治難民を迫害の待つている国には送還しないことを、繰り返えし言明している。

(3) 一般に、慣習国際法が成立するためには、多数の国家によつて長期間、同一の行態が繰返されるという事実の存在と、諸国家の法的信念(規範意識)の介在が必要だとされているが、難民の保護は(1)で述べたように古くから現在に至るまで、多数の国家によつて繰返し行われて今日なお継続しており、(2)に述べたように、いまやそのことは諸国家間に法的信念として存在しているものといえるのである。特に、難民の地位に関する条約は、その基本的内容がすでに国際間の慣行となり、またはなりつつあるものを条文にあらわしたものと見ることができ、このような見地から、非締約国といえどもその主要な内容については尊重すべき義務があるというべきである。いまや難民をその本国へ強制送還してはならないことは、国際慣習法であるというべきである。

(三) それゆえ、政治難民である原告に対しなされた本件処分は、前記国際慣習法ひいては憲法九八条二項に違反し無効のものであることは、前項(三)において述べたところと同一である。

3  仮に、以上の主張が認められないとしても、本件処分はなおつぎの理由により違法である。

出入国管理令五〇条三号に定められた特別在留許可は、法務大臣の自由な裁量に委ねられているとはいえ、自由裁量権にも自ら限界があるのであつて、裁量権の逸脱または濫用が許されないことはいうまでもないところ、既に述べたところから明らかなように、政治難民を迫害の待つている国に追放してはならないことは、少くとも国際慣習ないし国際通念であるから、政治難民を迫害の待つている国へ送還することは、それが禁止されていないにしても、国家の保安または公共の秩序維持のために十分な理由がある場合でなければ許されず、十分な理由もなく、徒らに本人を苦しめるような政治難民の追放はいわゆる国際法上の権利の濫用である。

ところで、原告は、既述のように政治犯罪人ないしは政治難民であつて、日本に密入国して以来本件処分を受けるまで、十年間、正しくかつ平隠に生活を継続してきたし、また、その間、日本国の公安や利益を害したこともなく、今後もそのおそれは全くないし、また、歴代の法務大臣も、政治犯罪人ないしは政治的難民を迫害の待つている国には送還しないと繰返し言明しているのみならず、昭和三二年から同三六年までの間、毎年二千数百人におよぶ外国人に対し特別在留許可を与えているのであるから、これらの諸事情を考慮するときは、原告に対し特別在留許可を与えることなく、原告の異議申立てを棄却した法務大臣の裁決は、裁量権を逸脱したか、これを濫用した違法のものというべく、したがつて、また本件処分も違法であるといわなければならない。

三  よつて、本件処分の取消しを求める。

第三被告の答弁並びに主張

(答弁)

一  請求原因第一項の事実は認める。

二  同第二項のうち、本件処分が違法である、との主張は争う。

1 同項1(一)(1)の事実のうち、原告が民団栃木県本部事務局長であつたことは、認めるが、その在職期間および原告がその期間中に行つた行為については知らない。

2 同項1(一)(2)の事実のうち、韓国で原告主張のような法律が制定されていることは認める(ただし、国家保安法の公布は、昭和三五年六月一〇日、同日施行、特殊犯罪処罰特別法の公布は、昭和三六年六月二三日、同日施行、反共法は昭和三六年七月三日公布、同日施行である。)が、原告の主張する行為が、これら法律に照し処罰されるべきものである、との主張は争う。

3 同項2(二)(1)の事実は認める。ただし、右のうち難民の地位に関する条約につき、同条約の適用を受ける者の範囲が、一九五一年以前に生じた事由によるものに限定されていない、との主張は誤りである。同条約の関係部分は、「一九五一年一月一日以前に発生した事件の結果により、種族、宗教、国籍、特定の社会的団体員であること、または政治的意見が原因で迫害を受ける恐れがある云々」(第一条A(2))である。

(主張)

一  本件処分が政治犯罪人不引渡しの国際慣習法に違反するかどうかについて

1 政治犯罪人不引渡しの原則は、国際慣習法でない。

(一) 元来、国家は、領土主権を有し、これから派生する権能として、自国内にある外国人を管理し、その外国人に対する処遇を自由に決定しうる。すなわち、国際的側面において、領土主権は、全く無制限にその行使が許されているのである。そのために、逃亡犯罪人について各国間の国際的利害の対立を生じ、これを調整するための国家間の合意として、一定の犯罪人については、その引渡しを国家間の義務とする犯罪人引渡条約が締結されることがあるが、この場合には、右の義務を負担することによつて、結果として、前記の自由なる主権の行使について自己規制をしたことになり、ただこの限りでのみ右自由の制約を生ずる。ところが、右条約には、通常、政治犯罪人については、条約に基づいて相手国からその引渡しを請求された場合でも、引渡しの対象から除外する旨の例外規定がおかれ、これによつて、被請求国は引渡義務を負わないこととされている。換言すれば、右例外規定の適用がある場合には、国家は、前記条約の締結によつて主権に対して加えた国際的自己規制を排除し、本来の主権の機能を完全に果しうる状態を回復したことになるのである。したがつて、相手国から政治犯罪人の引渡請求があつてもこれに応ずるか否かを決定することは、単に自由なる領土主権の機能として行うに過ぎず、政治犯罪人を引き渡さないことに法的な原理的意味があるわけではないのである。さればこそ、これは規範的意味での「原則」ではなく、従つて政治犯不引渡しの主義という方が適当であろう(嘉納孔、国際法講座第二巻六四頁)との理解を生じ、また、「政治犯罪人不引渡しの原則は、領土主権から派生する権能の別称ともみることができる」とか、或いは「本来的には当該条約締結国の権能を意味するものに過ぎない。また、条約の規定の仕方からいつても、政治犯不引渡条項そのものから政治犯不引渡しの条約上の義務を導きだすことはできない。」とされるのである。このように政治犯罪人不引渡しの原則といわれているものが自由なる領土主権の機能であるとすれば、そこには、義務的ないし拘束的な意味での不引渡しの原則というものは成立しえないから規範としての慣習法が成立しているとみることは論理的矛盾といわざるをえない。

(二) ところで、政治犯罪人不引渡しの原則は、一定限度において一般国際慣習上規範的すなわち義務的拘束的意味をもつていると解し、同原則の国際法規性を肯定する見解の根拠としては、第一に、政治犯罪人を引き渡さないということが一世紀来の一般的国際慣行となつているという実証的事実、第二に、出入国の規律が国際法上原則として国家の自由に属するという基本的に争いない原則の中で、政治犯罪人の不引渡しが学説上「原則」としてとらえられ、条約や国内法令にまで例外なくそれが表明されていることは、規範として歴史的社会的に定着してきたことの表われであると理解する方がより自然であること、第三に、一国の政治的便宜を超えて、政治的処罰のために引き渡さるべきではないという実質的な意識が政治思想や人道主義の基礎の上に固まつていること、第四に、条約や国内法令で政治犯罪人不引渡しの規定を設けることの主眼は、政治犯罪について引渡しの義務を否定すること、すなわち不引渡しの自由をもつことであるが、これと不引渡しを義務とする約束を同時にもつこととは相容れないものでないこと、第五に、政治犯罪の概念の不明確性は覆うべくもないとしても、一定の制限のもとで厳格な狭い政治犯罪については概念的に明確にすることは可能であるから、不引渡しの原則が法的な意味で一般に妥当することは認められるべきであることを掲げる。

しかし、政治犯罪人不引渡しの原則が国際慣習法として確立しているかどうかの実質的判断は、慣習法理論の適用として、その成立要件の一つとされている規範意識の醸成にかかつている。すなわち、政治犯罪人を引き渡さないことが、国際的法則として諸国家を拘束し、これに従わないことが国際法違反と考えられる程度に国際的法意識によつて支持されていることが必要であるが、右の法意識は、以下に述べるとおり、明確なものとはいえないのである。

政治犯罪人不引渡しの慣行は、もと犯罪人引渡条約における例外的除外規定として設けられた不引渡条項が一般化して形成されたものであつて、その内容としては、許容的なものと拘束的なものとがある。しかして、右の慣行は、条約上の不引渡条項においては拘束的な規定が大多数を占めるとしても、原理的には許容的な性格のものである。もとより、右慣行が元来許容的なものであるとしても、さらにこれを拘束的なものに高めることは可能であるが、これは、条約上拘束的な不引渡条項を設けることも法論理として矛盾ではないといえるにとどまり、このことから右慣行の拘束性が個々の条約を超えて普遍的なものとなつているとまでは、到底いえないのである。

政治犯罪人不引渡しの慣行が生ずるに至つた動機には、自国の政治体制の擁護、保持ないし進歩的勢力の増強によつて国の長期的利益をはかるという政治的意図と個人の政治的自由ないし人道主義の要請という二面においてこれを見ることができる。この二面のいずれを強調するかは、吾人の価値観に依存するところとなろうが、そのいずれをも全く否定し去ることはできないのである。政治犯罪人がその本国に引き渡されることによつて重刑に処せられることが明らかな場合、人道主義の要請から、その政治犯罪人を引き渡すべきでないという道義意識が生ずる。しかし、この道義意識が法意識にまで高められるためには、全体的(国際的)法秩序のもとで絶対的に合価値的なものとして受け入れられる必要がある。ところが、一方、国際社会における法秩序においては、いわゆる不干渉義務にあらわれているとおり、諸国家の政治的自由ないし利益を尊重すべきことが法価値の内容として承認されているといわざるをえないのであるから、前記人道主義の要請によつて、この国家の政治的自由の行使が相対的に反価値的なものと評価されるまでに至らなければならないのである。したがつて、「どうみても政治犯罪とみられるものについては、政治的便宜の考慮を押え不引渡しが『原則』として法的な意味をもつに至つたことは根拠のあることである。」との見解もあるが、そこまで断言できるものであるかどうか、かなり疑問であるといわなければならないし、そのような見解をとる者さえ、「個人の利益の保護、人権の確保等に、国際法がより多く目をそそぐようになつてくるにつれて、この原則のそのような実質的根拠は強まることはあつても弱くなることはないであろう。」とされ、前記人道主義の要請に関する国際法的な評価がいわば生成過程にあることを自認しているのである。さればこそ、人道主義の要請と国家の政治的自由の調和点において、「政治犯罪人たる理由でその引渡しを拒否したときこれを非友誼的行為と考えないという」限度で慣習法が成立しているとしかいえないのであり、政治犯罪人を引き渡さないという国際慣行についての実証的事実にしても、右限度の慣習法の成立の根拠としては妥当するが、さらに拘束的な不引渡しの原則の成立の根拠とするには十分でないように思われる。もつとも、右の実証的事実について、条約等が例外なく不引渡条項を設けていること、多くの学説がこれを「原則」としてとらえていることから解釈論によるフオローをする見解もあるが、学説上用いられている「原則」ということばが右の意図に合致するほどの意味をもちえないことは多言を要しないところである。また、政治犯罪人不引渡条項は、それ自体としては、国家の領土主権の機能である不引渡しの自由に還元するという程度の意味しかないとしても、犯罪人引渡条約における条約上の義務に対する除外規定として免責条項を設けた意味では重要な法的意義をもつものであるから、それが許容的規定であつたとしても、不引渡条項のもつ意義を無に帰せしめるものではないのである。したがつて、右の不引渡条項を拘束的なものと解する方がより自然であるという見解に対しては疑問なきをえないのである。

(三) 政治犯罪人不引渡しの原則といわれるものは、現在の国際社会においては、拘束的、義務的な原則と解すべきでないことは以上に述べてきたとおりであるが、さらにこれについてはつぎの点が留意されるべきであろう。

国際法上の義務という場合、権利、義務の一般論として義務に対応する権利主体がなければならない。形式的には、条約が締結されていればその相手国ということになろうが、この相手国でさえ、実質的には権利主体とみることは無意味といわなければならないのである。したがつて、現に、政治犯罪人は、その本国から引渡しの請求があつても、引き渡すべきではないという道義意識がさらに高度のものとなりつつあるとしても、これが法的義務規範に質的な転化をするためには、それに必要な要件として、右に述べた主体的対象が不可欠なのである。換言すれば、国際法上の主体として、国際社会というものが承認された場合、そこに拘束的な不引渡しの原則が確立する可能性はあるが、現在これと同様に解することは不可能なことというほかないのである。

2 原告は、政治犯罪人不引渡しの原則にいう政治犯罪人に該当しない。

条約上あるいは相互主義をとる国内法上、政治犯罪人不引渡しの原則にいう政治犯罪人とは請求国から引渡しの請求があつたものをいうのである。なお現に刑が確定しているか、あるいは訴追されていることは必ずしも必要でないとしても、少くとも、捜査が開始されている事実が伴なわなければならないことは当然の事理である。

しかして、原告が広狭いずれかの政治犯罪人に当たることは被告の否認するところであるが、仮に原告が政治犯罪人に該当するとしても、韓国よりわが国に原告の引渡請求があつた事実がないことはもちろん、原告主張の所為について韓国において搜査がなされた事実もないのであるから、原告が、国際法上および国内法上、政治犯罪人不引渡しの原則にいう政治犯罪人に該当しないことは明らかである。原告は、ただ不法入国のゆえをもつて、わが国から退去を命ぜられ、その執行を受けようとしている者に過ぎないことが銘記されるべきである。

二  本件処分が政治難民を国際的に保護する国際慣習法に違反するかどうかについて

政治難民を国際的に保護することは国際慣習法ではない。

政治難民の保護に関する沿革的および制度的意義については、原告主張のとおりであるが、難民の地位に関する条約に加盟している諸国がその条約上の義務を負担していることは別として、わが国を含む未加盟国が、難民を本人の意思に反して迫害の待つ国に送還してはならないという一般的な国際慣習法上の義務を負うものでない。すなわち、政治難民について関係国が庇護を与える国際法的義務は、条約なき限り存在しない、政治的難民をその意思に反して本国へ送還してはならないという国際慣習法は、いまだ確立していない、ただ、かかる慣行が生じつつあることを肯定できるだけである。政治的難民に国際的保護を与えることは、国際慣習的に成立しているとはいまだいえない、政治的難民に対しては、条約上の制度を別にして、一般国際法上は、亡命国の自由な措置に委ねられる、迫害国に引き渡すことも法的には必ずしも妨げられない、一般的には国際法として形成の過程にあるといえる程度である。

以上のとおり、政治難民の保護に関しては、これが国際慣習法として成立していない。最後に、難民の保護に関する問題は、ヒユーマニズムの問題である反面、人口問題にからむ自国の政治的、経済的利害と密接に関連する問題であるということが、その慣行化ならびにそれに関する法意識の醸成を困難にしている事情に留意すべきことを指摘しておく。

三  本件処分が難民保護の国際的な慣行ないし通念からいつて裁量権の範囲を逸脱した濫用であるかどうかについて

1 まず、本件処分に関して権利濫用の問題を検討する場合、当然のことながら、これが国内法上の法律問題であることが銘記されなければならない。けだし、本件処分はわが国の領土内に居住する原告に対して、国内法である外国人登録令を適用してなされたものであつて、本訴は、原告が右の国内法の適用の適否を争つているものだからである。

ところで、国際法の次元において、本件処分に関する権利濫用の問題を論ずる見解があるが、かかる見解は、そのまま採つてもつて直接に本件に関する権利濫用の問題を解く資料とすべきではない。すなわち、国内法が成文主義であるところから成文絶対主義に対する反動として抬頭したのが国内法上の権利濫用理論であるが、国際法においては、かかる成文法の支配がないために成文法から離れた次元において国際法上の権利濫用理論が展開されてきているのである。さればこそ、国内法上の問題について、沿革的な成文法の厳格解釈に対する緩和調整を意図する場合に、国際法上の濫用理論をこれに結びつけることは現実に即しない(名島芳、国際法における権利濫用七七頁)こととなるのである(なお、同書一三二頁所掲の国際司法裁判所の見解参照)。

2 権利濫用の認定標識は、権利が法律上認められている社会的目的に反して行使されたものかどうかにある(末川博、権利濫用の研究一〇頁)。すなわち、適法な権利の実現自体の中に、内在的違法を生ずる法現象である。この理論を本件処分に当てはめれば、本件処分については、後記の出入国管理行政の目的以外の目的のために、言い換えれば、右の行政目的に妥当する処分理由が全く認められない場合または一応右の行政目的に従つてなされたものであるが、その結果が、右目的を犠牲にしてまでも保護しなければならないような重大な法益の侵害が認められる場合にはじめて本件処分の濫用性が肯定されるのである。後者についてさらに敷衍すれば、右の法益侵害は、具体的でなければならないから、現実に法益侵害の結果が発生している場合か、あるいは法益侵害の危険が確実でなければならず、また、ここにいう危険の確実性は、客観的なものでなければならず、単に主観的な危惧では足りない。しかもこの場合、法益の権衡は、権利の濫用という法現象としては例外的な側面から問題とされるのであるから、否定されるべき法益の実現行為としてその権利行使が過剰なものであること、すなわち外国人登録令に基づく行政権の行使として過度のものであることを要するのである。

3 ところで、出入国管理行政の目的は、出入国および外国人の在留を管理することであり、日本人の出入国関係を除けば、外国人管理の基本的行政である。このような外国人の出入国管理は、諸外国においても一般的に承認されているところであるが、その制度的理由は、それぞれの国家において、領土の広狭、人口の多寡等諸種の政治的、経済的、社会的要因に基づく配慮によつて一国の全体的秩序を維持しようとするところにある。わが国における出入国管理行政の目的もこの例外ではありえないのである。したがつて、わが国に外国人の不法残留者あるいは不法入国者の在ること自体が出入国管理上看過し得ないことは当然のことであろう。とりわけ不法入国は右の出入国管理の基本的秩序を破壊するものであるから、不法入国者をわが国外に強制退去させることは、その秩序を回復しこれを維持するために不可欠な措置といわざるをえないのである。そして不法入国者を放置し、或いは不法入国者に対して安易に特別在留許可を与えることは、不法入国の悪弊を助長する結果となることは明らかなのである。さればこそ、法務大臣がその自由裁量によつて特別在留を許可することには、特に慎重であらねばならないことは当然であろう。すなわち、特別在留許可は、本質的には自由裁量行為であるとしても、裁量権の行使によつて右許可を与えることは厳格な制約が課せられているのであつて、いわば例外的な処遇なのである。

4 本件処分は、不法入国者である原告に対して、外国人登録令一六条に基づいてなされたものである。国際法上、外国人の追放に関して権利濫用が問題とされる場合、特別の条約がない限り、準拠すべき法規範がないから、結局、その追放が当該国の治安あるいは秩序とどのような関係をもつかを実質的に審判せざるをえないこととなるとしても、国内法上の問題としては、本件処分は、不法入国者である原告について前記登録令の適用の結果行つたものであるから、本件における問題は右の観点からの問題とは異なるのである。すなわち、本件処分が前記の権利濫用理論の問題としては、出入国管理行政の目的以外の目的のためになされたものであるかどうかという点は、問題となりようがないのである。そこで以下、もつぱら前記の法益権衡に関する被告の見解を述べることとする。

わが国が不法入国者を国外に退去させることは前記のとおり、出入国管理上の秩序の保全という重大な公益目的を有するのである。したがつて、本件処分が国内の治安とか秩序に実質的になんら係りのないもの(名島、前掲三頁以下は、国際法上、外国人の追放が権利濫用とされた場合の事例を掲げているが、これらの事案は、いずれも在留資格を有するものについてなされたものであるから、本件については全く参考とならない。)ということはできない。一方、原告がその本国へ送還された結果仮に原告ら主張のとおりの韓国法の適用を受けて処罰されるとしても、いかなる刑に処せられるかは予測がつかないが、仮に、原告の行つた行為が原告主張のとおりであるとし、原告主張の各韓国法および原告の同志の処罰例を勘案しても、原告の所為が死刑に相当するとは思われない。そして不法入国者が本国において処罰されることを回避することの利益は、日本国の前記公益と法益権衡において対比されるべき性質のものではないのである。なお、仮になんらかの意味で法益の権衡を考えるとしても、つぎの点が考慮されなければならない。

原告が原告主張のとおりの政治活動を行つたのは、原告がわが国に不法入国した後のことである。すなわち、原告は、自己が不法入国者であり、何時わが国から強制退去させられるか分らない立場にあることを熟知しながら右活動を行つたのである。原告の保護法益に配慮を及ぼすとしても、その法益に対する危殆は、すでに自己の不法入国という違法行為の上に形成されたものなのである。かかる法益は、いわば法の保護の埓外にあるといわなければならないのである。

以上のとおりであるから、原告の本件処分に関する権利濫用の主張は、全く理由のないものといわなければならない。

第四証拠関係<省略>

理由

第一原告の密入国と退去強制手続の経過

原告本人尋問の結果によれば、原告は昭和五年韓国慶尚北道英陽郡英陽面に生れ、同二四年ソウル公立中学校を卒業し、韓国政府による日本留学生の募集に応募、合格し、正式の留学許可を待つていたところ、その頃、昭和二五年朝鮮戦争が勃発して戦乱に巻き込まれ、学徒兵として戦闘に従事し、昭和二六年三月除隊を許されたが、祖国は戦場と化し、外国へ留学生を派遣することなど不可能の状態であつたので、日本留学の念願を達成するため密出国を決意し、昭和二六年四月頃、釜山から漁船で韓国を脱出して福岡県有明海大牟田港に入港したことが認められ、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

また、原告が韓国人であつて、昭和二六年四月一〇日頃日本国に密入国し、昭和二七年九月東京大学理学部物理学科に研究生として入学し、昭和二九年九月まで同大学において理論物理学を専攻していた者であること、原告が昭和三七年八月頃密入国の容疑で、東京入国管理事務所に収容され、同年八月一二日入国審査官田中角司より外国人登録令一六条一項一号に該当するものと認定されたので、右認定に対して口頭審理を請求したが、同年八月一九日特別審理官馬場順次から右認定に誤りはない、と判定されたことおよび原告が右判定に対し、即日法務大臣に対して異議の申立てをしたところ、その頃、同大臣から右異議の申立てを棄却する旨の裁決がなされ、同三七年六月二九日主任審査官山根重美から退去強制令書の発付を受けたことは、いずれも当事者間に争いがない。

第二原告の密入国後の行為と韓国の政治情勢

成立に争いのない甲第三号証ないし第五号証、同第八号証、同第九号証、同第一七号証、原告本人尋問の結果により成立を認める甲第六号証、同第七号証、証人朴徳萬、同金仲泰、同鄭泰植の各証言並びに原告本人尋問の結果に弁論の全趣旨を総合すれば、つぎの事実を認めることができ、他にこれに反する証拠はない。

1  原告は、日本国に密入国後上京し、在京韓国人の援助を受けながら受験準備を続け、前記のとおり昭和二七年九月東京大学理学部に研究生として入学を許され、以来同大学において理論物理学の研究に従事していたが、学問上の方法論について独自の見解を抱くに至り、独学を志し、昭和二九年一〇月同大学研究生を辞し、東京都武蔵野市吉祥寺にある在日韓国人留学生のための寄宿舎「花郎荘」において、理論物理学やカント哲学を独力で学習していた。

時あたかも、韓国においては、北緯三八度線をもつて南北に分断されたまま、昭和二三年八月一五日独立を宣言した李承晩政権が朝鮮戦争後ますますその反共的色彩を強め、反政府勢力の指導者曹奉岩の秘書で、南北の平和統一を主張する李栄根を北朝鮮のスパイ容疑で逮捕し、国家保安法違反の罪名をもつて起訴し、一審で同人が無罪となるや、控訴し、さらに昭和三三年曹奉岩の率いる野党進歩党が容共的であるとの理由でその幹部らを逮捕した、いわゆる進歩党事件が発生し、これに連座することを恐れた李栄根は日本を逃れたが、曹奉岩は死刑の判決を受けるなど緊張した政治状況であつたので、当時日本国にあつて民団中央総本部組織部次長をしていた趙庸寿は、曹奉岩および李栄根らの南北の平和統一の主張に深く共鳴し、東京における曹奉岩助命嘆願署名委員会の代表者となり、強くこれに抗議し、その助命運動に奔走したが、同人に対する死刑が執行されたばかりでなく、みずからも右助命運動のため、韓国外務部および民団幹部から、反政府運動家と睨まれ、民団中央総本部組織次長の職に留まることができなくなつて退職し、民団栃木県本部事務局長の職をえて足利市に転居するのやむなきに至つた。

ところで、原告は、昭和二八年前後から趙庸寿を知るようになつたが、同人の南北平和統一の思想やその人格に傾倒し、特に上記のように同人が職を賭して曹奉岩の助命運動に挺身したことに強い感銘を受け、同人が民団中央総本部の職を追われて足利市にいわば都落ちをするにあたつてこれに従い、昭和三四年八月民団栃木県本部文化部講師として、同市に移住し、韓国人子供や同国人と結婚した日本婦人らのための朝鮮語の講習会を開いていた。

ところが、韓国においては、昭和三五年四月一九日、学生によるいわゆる四・一九革命が起こり、李承晩政権が倒れ、同年七月二九日韓国民議院の総選挙が行われることになつたので、趙庸寿は、これに立候補すべく韓国に渡り、社会大衆党から立候補したが落選し、一旦日本に帰つて来たが、当時東京で統一朝鮮新聞を発行して南北の平和統一の論陣を張つていた前記の李栄根から奨められ、同人の資金の援助で韓国内において右統一朝鮮新聞と同様に南北の平和統一と勤労大衆の権利を擁護することを目的とする新聞の発行を計画して再び韓国に渡り、昭和三六年一月二五日ソウルに民族日報社を設立し、みずからその社長に就任し、言論活動を行つた。たとえば、同年五月一六日の民族日報紙上に「民族的自主的努力で南北協商の段階まで攻勢を発展させよ。」との論説を掲載したほか、同紙に、韓国の中立化、政治的平和統一に先立つ南北の協商経済文化の交流および学生会談の開催等を積極的に推進すべき旨の社説、論説、記事等を掲載した。そして、このような状況のうちに、昭和三六年五月一六日いわゆる軍事革命が起り、張勉内閣は崩壊して朴政権が成立し、同政権は、国家再建非常措置法、特殊犯罪処罰特別法、反共法、集会臨時措置法等を制定して、反共的軍事体制を固め、昭和三六年六月二三日特殊犯罪処罰特別法を公布し、公布の日から三年六月までさかのぼつて適用することにした。かくして、朴政権下の革命裁判所は、趙庸寿らの民族日報による言論活動に特殊犯罪処罰特別法を適用し、趙庸寿ら民族日報社の幹部を逮捕のうえ起訴した、いわゆる民族日報事件が発生するに至つたのであるが、右の革命裁判所は、同年八月二八日趙庸寿に対し、同人が曹奉岩の東京における助命嘆願署名委員会の代表者であり、曹奉岩の秘書で北朝鮮スパイの容疑で公判係属中日本に亡命した李栄根から資金援助を受けて革新系代弁紙の発刊を計画し、民族日報社を設立した者で、韓国の中立化や政治的平和統一に先立つ南北経済文化の交流および南北学生会談開催の提唱等が韓国に民族的交流および援助をもたらすものであるとの仮面のもとに、漸次的に赤化する機会を虎視耽々とねらつている北朝鮮の合法を仮装した赤色侵略方法として彼らが一貫して主張宣伝している、いわゆる平和攻勢すなわち間接侵略政策にほかならず、北朝鮮の利益になることの情を知りながら、北朝鮮の主張内容に相応した前記のような論説等を民族日報紙に掲載発刊させて国民に宣伝し、これを煽動したことは、反国家団体である北朝鮮の活動を鼓舞し、これに同調したものである、との理由のもとに、特殊犯罪処罰特別法六条を適用して、同人に対し、死刑の判決を言い渡し、同年一二月二一日その刑は執行された(その他の民族日報社幹部に対しても、死刑を含む重刑が言い渡された。)。

2  原告は、昭和三五年九月、前記のような事情で韓国に渡つた趙庸寿の後任として、民団栃木県本部事務局長に就任したが、同事務局長在任中、その職務につき、つぎのような行為を行つた。

(一)  原告は、昭和三六年四月に行われた民団栃木県本部団長の選挙にあたり、韓国社会大衆党の党員で、昭和三五年七月二九日に施行された前記韓国民議院の総選挙に立候補して落選した裘基鎬を推薦し、その選挙の責任者となつて選挙運動の一切を指導し、同人をして同団長に当選させた。

(二)  原告は、昭和三六年四月頃日本社会党栃木県支部から親善を申込まれた際、これに賛同し、同党が同年五月頃宇都宮スポーツセンターにおいて、労働者慰安演芸会を行うにあたり、民団栃木県支部より金二万円を寄附し、そのとき受取つた右演芸会の切符二〇〇枚を民団各支部に分配送付したが、その際、組織部長名をもつて、日本社会党が共産党と一線を画し、韓日親善促進を申し入れてきたので、民団としては、若干の留保条件を付しながらも、右申入れの趣旨に賛同することができるから、右演芸会に積極的に参加するように、との文書を添えた。

(三)  原告は、前記のとおり、趙庸寿に深く傾倒し、同人がいわゆる民族日報事件に連座してついに死刑の求刑を受けるや、同県本部長裘基鎬らと趙庸寿救命嘆願署名委員会を組織して同人の助命活動を開始し、民団栃木県本部において、民衆大会の決議による陳情書を民団中央総本部を通じて韓国政府に提出し、また、民団中央総本部に対し、民団各県本部が同様の陳情書を本国の要路に提出するように指示することを建議し、同月二八日前記革命裁判所によつて死刑判決が下されるや、民団関東地区の幹部を招集して、同人の助命嘆願の決議をし、九月八日東京日比谷野外音楽堂において、抗議民衆大会を計画、主宰し、民団中央総本部幹部らの執拗な妨害のために右民衆大会が流会のやむなきに至るや、さらに趙庸寿救命嘆願署名委員会名をもつて、同日、本国(韓国)の国家再建最高会議議長朴正熙宛に、「一、軍事政権は、趙庸寿氏以下民族日報関係者に対する有罪宣告を取り消し、全員を即時釈放せよ。一、軍事政権は、言論、出版、結社の自由を抑圧する一切の弾圧政策を中止し、国民の基本的権利を保証せよ。一、軍事政権は、すみやかに退陣し、国民の総意による民主かつ合法的政権と交代せよ。」との内容の抗議文を発送し、また、同日、「本国々民に送るメツセージ」、「日本国民に送るメツセージ」を発表し、趙庸寿に対する死刑判決の不当性と同人の救命運動への参加を呼びかけ、なおも民団栃木県本部機関紙韓民栃木新報に「趙氏の死刑に反対する。」(同年九月一五日)、「趙庸寿氏の助命を訴える。」(同年九月二五日)等の社説を掲げて、趙庸寿の助命運動を展開した。だが、原告ら民団栃木県本部の趙庸寿の助命運動が朴政権に対する反政府運動的色彩が濃厚であることを重視した民団中央総本部は、在日韓国代表部の意向をも考慮し、同年一〇月、民団栃木県本部に対し、臨時大会の開催と同本部団長、事務局長ら、執行部の辞任を要求し、もしこの要求に応じないときは、同県本部を中央総本部の直轄とする旨を明らかにしたので、同臨時大会において、原告ら民団栃木県本部の執行部は辞任するのやむなきに至つた。

第三政治犯罪人不引渡しの原則と国際慣習法の成否

一  政治犯罪人の取扱いに関する国際法上の一般慣習

鑑定人高野雄一、同大平善梧、同小田滋の各鑑定の結果(文書並びに口頭による)によれば、つぎのことが認められ、他にこれに反する証拠はない。

1  およそ国際法上、外国人の出入国は、原則として国家の自由な規律に任せられている。外国人の出国についていえば、外国人をその意思に反して出国させること、たとえば、追放或いは強制出国(退去強制)について、国家は、それをしてはならないという拘束を受けることはない。また、それをしなければならないという拘束を受けることもない。

これを逃亡犯罪人についていえば、外国において犯罪を行なつたものが逃亡してきて、その引渡しをその外国から要求された場合、国家は、一般国際法の下においては、その要求に応じてもよいし、応じなくてもよい。応ずる(引渡し)義務もなければ、応じてはならない(不引渡し)義務もない。もつとも、条約で相手国民の引渡しを承諾しておれば、その限りで国家はこれを引渡す義務を負うことはいうまでもない。その典型が逃亡犯罪人引渡条約である。

ところで、世界の主要国家を含む多数の国家は、外国との間にそれぞれ条約を結び、逃亡犯罪人の引渡しを約している。この場合は、条約の定める範囲内で、逃亡犯罪人の引渡しは、その国の国際法上の義務となる。このような逃亡犯罪人引渡条約は、わが国においては、アメリカ合衆国との間に締結されているに過ぎない。このように条約がある場合には、その定める限度で、逃亡犯罪人の引渡しは、国家の国際法上の義務となるが、それ以外の場合には、逃亡犯罪人の引渡しは、一般的に国家の自由に属し、逃亡犯罪人の引渡しの請求を受けても、請求国に引渡さず、自国に滞在を認めることがある。この場合、領土主権の効果として、相手国は、これ以上逃亡犯罪人の追及をすることはできない。その結果、逃亡犯罪人はその国において、自己の犯罪について保護を受けることになるが、このような国家の権利を庇護権(Right of asylum)といい、これは国家の国際法上の権利であつて、逃亡犯罪人がその国家に対して有する権利ではない。もつとも、犯罪が国際化し、犯罪人の国外逃亡が容易になると共に、逃亡犯罪人の引渡しは、国際協力として一般に望ましいことと考えられ、条約上義務的な規定がない場合にも、国際礼譲として、国内の法律または行政措置により、逃亡犯罪人の引渡しがしばしば行われている。以上が外国人の出入国、特に逃亡犯罪人の取扱いに関する国際法上の一般原則である。

2  逃亡犯罪人の中でも政治犯罪人については特別の取扱いがなされてきた。すなわち、逃亡犯罪人の引渡しに関する多くの条約は、引渡犯罪を刑法上の普通犯罪に属する一定のものに限定し、いわゆる政治犯罪はこれから除外し、政治犯罪人不引渡しの原則を採用している。ことに一八六七年に、それまでこの原則の採用にさからつてきたロシアがこの原則を採用して以来、一八八八年のロシア、スペイン間の逃亡犯罪人引渡条約を除き、それ以外のすべての逃亡犯罪人引渡条約は、条約上の引渡犯罪に政治犯罪を含まず、かつ、政治犯罪人は引渡さない旨の規定をおいている。そして、政治犯罪人不引渡しを規定する条約の多くは、政治犯罪人は「引き渡すことができない」、或いは「引き渡してはならない」と義務的命令的(Mandatory)な形で規定している。ごく少数のものが、例外的に政治犯罪人は「引き渡さないことができる」、或いは「引き渡しを拒むことができる」と権能的許容的(Permissive)な形で規定している(ちなみに、日米犯罪人引渡条約もその四条において、「政治犯罪人は、これを引渡してはならない。」と義務的命令的に規定している。)。また、逃亡犯罪人の引渡しに関する諸国の国内法においても、義務的命令的な形で、政治犯罪人の不引渡しが定められている場合が多い(ちなみに、わが国の逃亡犯罪人引渡法も、その二条において政治犯罪につき、「引渡してはならない」と規定している。)さらに、第一次世界大戦後は、憲法において政治犯罪人不引渡しを規定する国が現われ、ことに第二次世界大戦後は、東欧諸国および共産主義国家をも含めて、このような憲法規定を持つ国が多くなつてきた。のみならず、具体的実行においても、ここ一世紀来、逃亡犯罪人を政治犯罪と認めて引渡しを拒む事例、或いは強引な連行に抗議する事例(昭和四二年七月西ドイツ留学中の韓国人学生の強制連行に対し西ドイツ政府が韓国政府に対して行なつた強硬な抗議はその一例である。)は数多くあつたが、逃亡犯罪人を政治犯罪人と認めたうえ、あえてこれを引渡した事例はまずなかつたということができる。

3  以上のとおり、ここ一世紀来の逃亡犯罪人引渡条約が政治犯罪人を引渡犯罪から除外して不引渡しを規定し、しかも、その圧倒的に多くのものがこれを義務的命令的に規定し、また、多数の国が憲法その他の国内法で、政治犯罪人不引渡しを規定しているのみならず、具体的実行においても、政治犯罪人の引渡しを拒絶してきたのであつて、これらのことから、一般の国際社会においては、政治犯罪人不引渡しの国際慣習が成立していることは疑問の余地がない。

二  政治犯罪人不引渡しの原則は国際慣習法であるか

1  政治犯罪人不引渡しの原則は国際慣習法であると解するのが相当である。その根拠およびその成立の範囲は、つぎのとおりである。

(一) 前示のとおり、歴史的にここ一世紀来、国際社会の具体的実行において、政治犯罪人は引渡さないということが国際慣習になつているという実証的事実がある。

(二) 国家は、外国人の出入国を自由に規律しうるという国際法上争いのない基本的原則の中で、ことさらに政治犯罪人につき、本来自由であるべき不引渡しを、広く学説が「不引渡しの原則」としてとらえ、多くの条約や憲法その他の国内法令にまで、例外なく政治犯罪人は「引き渡してはならない」と義務的命令的な形で規定していることは前示のとおりであり、政治犯罪人は引渡してはならないという規範が歴史的社会的に定着してきたことの現われであると理解する方がより自然である。

(三) 政治犯罪人の引渡し、不引渡しには、国の政治的利害がからむことが多く、国としては一般に不引渡しに拘束されることを好まず、これを政治的便宜の問題として保留しておきたがることは理解できるが、しかし、他面、前示のとおり、道義的または社会的に非難さるべき普通犯罪を伴わない純粋な政治犯罪とみられるものについては、政治的処罰のために引き渡さるべきではないという実質的意識が政治思想や人道主義の基礎のうえに、ここ一世紀ほどの間に固まつていることも認めなければならないし、特に、第二次世界大戦後において、国際連合憲章の制定、同連合による「人権の世界宣言」の採択、さらにこれに具体的法規としての拘束力を付与した人権規約の制定等により、国は内外人を問わずその人権を尊重すべきことが強調されるに至り、かくして、国際法が人権の尊重に重点を置くようになるに従い、どうみても純粋な政治犯罪とみえるものについては、人権尊重の立場から、国家は政治的便宜の考慮を押えて、不引渡しが「原則」として法的な意味をもつことになつた、と解するのは根拠のあることである。このような見地からすれば、政治犯罪が本国内において行われたとその他の国において行われたとを問わないわけであつて、本国以外の国において行われた政治犯罪が、本国法の規定により、処罰を受けるものである限り、この原則の適用を受けることになんらの妨げはない。

(四) 条約の中には、例外的に、政治犯罪人の不引渡しを、「引き渡さなくてもよい」と許容的に規定するものがあるが、不引渡しの規定は、引渡義務の例外規定としておかれ、引渡義務の否定がその主眼である。そのことは、「引渡しも不引渡しも自由」ということになるが、不引渡しの自由をもつものが同時に不引渡しを義務とする約束を持つことも論理的に不可能ではない。不引渡しが義務であるということは、不引渡しの自由を完全に行使することでもある。国家に認められた自由或いは権能を、条約上或いは一般国際法上特定の目的のためにもつぱら行使するように拘束されることはめずらしいことではない。したがつて、許容的な規定の条約の存在は、不引渡しの原則を義務的なものと考える妨げにはならない。

なお、この点について、政治犯不引渡しを国の義務と解するときは、これに対応する国際法上の権利国がなければならないが、これを発見することができない以上、これを義務と解することは不可能である、との見解がある。確かに、引渡請求国が不引渡義務に対応する権利国ということは無意味であり、国際法発達の現段階においては、個人を国際法の主体と解することにはなお無理な点がないでもない。しかし、国際法の場合、義務国に対応し、必ず権利国が存在しなければならない、という論理的必然性はない。条約において国内事項、たとえば、国内の労働者の権利を保障する内容のごときを定めた場合、国際法上それが国の義務であることは明らかであるのに、これに対応する権利国は存在しないのである。

(五) 政治犯罪の概念が、多義的、不確定的であることが国際慣習法の成立を妨げているといわれ、事実、この概念は多義的、不確定的であるが、前示のように、政治犯罪人不引渡しの原則が国際慣習として成立しているのは、どうみても政治犯罪であるという厳格に純粋な政治犯罪に当たるものに限られ、これを確定することは、さして困難でないのみならず、さらに手続的にも、請求国から政治犯罪処罰のための引渡請求があるか、或いは政治犯罪について有罪判決を受けるか、または起訴されるか、逮捕状が出ているか、少なくとも被請求国において客観的にこれらと同視しうる程度に処罰の確実性があると認めうる事情がある等請求国における処罰が客観的に確実であることを要し、単に政治犯罪人が主観的に処罰の確実性を信じているというだけでは十分でなく、また、政治犯罪人であるか否かの一次的判断権は、被請求国にあることなどによつて、政治犯罪人不引渡しの原則の適用のある政治犯罪人は厳格に限定されるのであつて、実体的にも手続的にもこれを確定することはさして困難ではない。したがつて、国家が無限定の義務を負うことになるとの非難は当らない。

なお、不引渡しの原則は決して庇護権を与えることと同じではない。国が不引渡しの政治犯罪人に国の権利として庇護権を与えることは、もとより自由であるが、不引渡しとは単に本国には引渡さない、というに過ぎないのであつて、不引渡しの政治犯罪人を他の国へ任意出国させることも退去強制することも国は自由なのである。この点からも国は、不引渡しを認めたからといつて、無限定の義務を負うものではない。

2  被告は、国家が原則としてその領域にある犯罪人を引き渡す義務がなく、犯罪人引渡条約を締結している場合でも、その除外例として政治犯罪人の引渡しを拒否できる権能がある、政治犯罪人の不引渡しを拒否できる権能がある、政治犯罪人の不引渡しは、自由なる領土主権から派生する権能の別称とみるべきものであるから、義務的ないし拘束的な意味での不引渡しの原則というものは成立しえない(不引渡しの「原則」というのは妥当でなく、むしろ不引渡しの主義というべきである。)、したがつて、規範としての国際慣習法が成立するというのは論理的矛盾である旨主張する。しかし、政治犯罪人不引渡しに関する、ここ一世紀位の間の具体的実行及び条約、国内法令の規定に現われた慣習の成立、規範の定着等の実証的事実がそのようなものでないことは、前段説示のとおりである。

被告は、さらに、政治犯罪人不引渡しの原則が国際慣習法として確立しているか否かの実質的判断は慣習法理論の適用としてその成立要件の一つとされている規範意識の醸成にかかつている、すなわち、政治犯罪人を引き渡さないことが、国際的法則として諸国家を拘束し、これに従わないことが国際法違反と考えられる程度に国際的法意識によつて支持されていることが必要であるが、政治犯罪人不引渡しの慣行はいまだその拘束性が個々の条約を超えて普遍的なものとなつているとはいえないし、また、かような拘束的な不引渡しの原則が確立する可能性はあるが現在これと同様に解することは不可能なことというほかはない旨主張する。しかし相対的な政治犯罪を含む広義の政治犯罪についてはともかく、純粋な政治犯罪についてのみ、しかももろもろの限定を付したうえで、政治犯罪人不引渡しの原則の国際慣習法性が肯定せらるべきであることは前段説示のとおりである。なお、付言すれば、政治犯罪人不引渡しの原則が国際慣習法であるか否についての学説の対立も、むしろそれらが前提として採る政治犯罪概念の相違に負うところが多いように思われるのである。

3  これを要するに、政治犯罪人不引渡しの原則は、一定の限定のもとにおいて、国際慣習法である。すなわち、純粋の政治犯罪(ただし、本国において行われたものであると本国以外の国において行われたものであるとを問わない。)につき、しかも手続的要件として、本国から政治犯罪処罰のための引渡請求があるか、或いは政治犯罪につき有罪判決を受けるか、起訴されるか、逮捕状が出ているか、少なくも客観的にこれらと同視すべき程度に処罰の確実性があると認められる事情がある等本国における処罰が客観的確実である場合に限り、政治犯罪人不引渡しの原則は、確定した国際慣習法であると解するを相当とする。

第四本件処分の適否

一  原告は純粋な政治犯罪人であるかどうかについて

1  さて、韓国特殊犯罪処罰特別法(以下「特別法」と略称する。)六条は、「政党、社会団体の重要な職位にいた者で、国家保安法第一条に規定する反国家団体の情を知りながら、その団体或いはその活動に同調その他の方法でそれを助けたものは、死刑、無期、または十年以上の懲役に処する。」と規定している。そこで、まず、前記認定の原告の行為が特別法六条に該当するか否かについて検討する。

(一) 成立に争いない甲第三号証、同第八号証によれば、革命裁判所は、前記の民族日報事件の判決において、特別法六条にいう「社会団体」とは、同条の立法趣旨が社会活動を目的とする団体が、その組織性のゆえに社会に及ぼす影響力が甚大であるため、そのような団体の主要幹部が反国家行為を犯した場合に、普通人と区別して厳罰に処しようとするものであることにかんがみ、およそ社会活動を目的とするすべての団体がこれに含まれる、と解していることが認められ、また、証人朴徳万、同鄭泰植の各証言と原告本人尋問の結果によれば、民団は、在日韓国人をもつて組織する民間団体で、本国の国政を尊重し、在日韓国人の民生の安定と日本国および日本人との親善を目的として諸活動を営んでいる団体であることおよび民団県本部事務局長が同本部の事務上の最高責任者であり、団長らとその執行部を形成する者であることが認められ、右認定に反する証拠はない。してみれば、原告は、前記特別法六条にいう「社会団体の重要な職位にいた者」に該当する者と解するのが相当である。

(二) 特別法六条にいう「反国家団体」とは、国家保安法一条によれば、「政府を僣称するか国家を変乱する目的で構成した結社または集団」をいい、「政府を僣称する」とは、法的手続によらないで、正当な理由がないのに、政府内閣を組織して、国家の真正な政府を詐称することであり、主として北韓かいらい集団(北朝鮮)がこれに該当し、「国家を変乱する」とは、国家組織の基本的政治制度、すなわち、国家の基本的政治組織制度を法的手続によらず、不法に破壊し、変革することをいう、と解するのが相当である(廉政哲・新国家保安法解説五二頁参照)。ちなみに、成立に争いのない甲第八号証、同第九号証によれば、韓国革命検察部および革命裁判所も前記特別法の具体的適用にあたり、北韓かいらい集団(北朝鮮)を「反国家団体」に該当するものとして、事件を処理していることが認められる。

この点について、原告は、社会大衆党、民族日報社並びに日本社会党がいずれも「反国家団体」である旨主張するが、これらの団体が、韓国政府を僣称するか、韓国を変乱する目的をもつて構成された団体であることを認めるに足りる証拠はなく、また、革命検察部または革命裁判所等韓国政府当局が、そのように解していることを認めるに足りる証拠もない。

(三) しかしながら、特別法六条は、「反国家団体の情を知りながら、その団体或いはその活動に同調その他の方法でそれを助けたもの」と規定しており、ここに「同調」または「その他の方法で助けたもの」という概念はあいまいであつて、ほとんど無限に拡張解釈のできる恐れがあるが、前掲甲第八号証、第九号証によれば、革命検察部および革命裁判所は、北朝鮮との平和統一、またはその前提としての平和交渉、経済、文化の交流等を主張する一切の言論活動をも、北朝鮮の平和攻勢、すなわち、間接侵略に相応するものであつて、その活動を鼓舞し、またはこれに同調するものであると解して、これに前記法条を適用していることが認められ、他にこれに反する証拠はないから、この解釈に従えば、原告が趙庸寿の死刑に抗議して救命運動を行い、特に、昭和三六年九月八日東京日比谷野外音楽堂において開催しようとしたが民団中央総本部幹部らから反政府運動とみられて妨害を受け流会になつた抗議民衆大会を計画し主宰したことおよび同日、趙庸寿救命運動委員会をもつて、国家再建最高会議々長朴正熙宛の抗議文その他のメツセージ等を発したことは、その内容が単に人道的見地から趙庸寿の助命を訴えるというにとどまらず、それ以上に、趙庸寿に対する死刑判決が不当であること、さらに朴政権の言論弾圧政策が不当であること、同政権が非民主的非合法的であること等をかなり激しい表現をもつて非難しているのにかんがみ、当然に、言外に趙庸寿の南北の平和統一の思想と言論を支持していることが看取され、少なくとも間接的に南北の平和統一を主張するもの、すなわち、間接的にしろ北朝鮮の平和攻勢という名の間接侵略を鼓舞し、これに同調するもの、或いはこれを「助けたもの」である、と解せられる十分の根拠があるといわなければならない。したがつて、原告の前示趙庸寿救命運動は、特別法六条に該当するものと解するのが相当である。

(四) 証人朴徳万の証言により成立を認める甲第一八号証によれば、韓国刑法総則三条は、「本法は大韓民国領域外で罪を犯した内国人にも適用する。」と規定し、いわゆる保護主義を採用しており、さらに同法八条は、「本法総則は他法令に定められた罪にも適用する。ただし、その法令に特別の規定がある場合は例外とする。」と規定しているが、特別法には、この点につき特別の定めがないので、右特別法についても、右刑法総則三条の規定の適用があることが認められ、他にこれに反する証拠はないから、原告の前示日本国内における趙庸寿のための救命運動についても右特別法の適用を免れず、したがつて原告の前記行為は、特別法六条に該当し、死刑、無期、または一〇年以上の懲役に処せられるべきものと解される。

2  つぎに、特別法六条に該当する原告の右行為が政治犯罪であるか否かについて検討する。

(一) 政治犯罪の概念は、講学上、純粋の政治犯罪と相対的な政治犯罪とに分けられる。純粋の政治犯罪とは、もつぱら政治的秩序を侵害する行為である。たとえば、反逆の企図、革命やクーデターの陰謀、禁止された政治結社の結成等、政治的な意味で犯罪とされ、処罰の対象となるものである(特定の国の政治秩序を侵害する行為であるから、一切の国の政治的秩序を破壊しようとする無政府主義的行為はこれに含められない。)。相対的政治犯罪とは、政治的秩序の侵害に関連して、道義的または社会的に非難さるべき普通犯罪が行なわれる場合をいう。相対的政治犯罪には二つの類型があり、その一を複合犯罪といい、他を結合犯罪という。前者は単一の行為であつて、それが政治犯罪と普通犯罪の両者を同時に構成するものであり、君主制を破壊するために、君主を暗殺するごとき行為である。後者は、二つ以上の犯罪であつて、それぞれが政治犯罪と普通犯罪を構成し、両者が関連しているものであり、君主制の転覆計画に参加して、そのために放火や殺人を行うごとき行為である。そして、普通政治犯罪というときは、相対的政治犯罪を含む広義の概念として使用される。

(二) ところで、前段認定の、原告の行為は、前示のとおり言論、文書または集会による死刑囚の助命運動であつて、これらが特別法六条に該当する犯罪とされるのは、「大韓民国を共産主義侵略から守る」(国家再建非常措置法一条)という政治目的のために制定され、反国家団体の活動に同調、その他の方法でこれを助けるという、韓国における特殊な政治秩序に対する侵害行為を処罰する前記の特別法によつてはじめて犯罪とされるものであるから、これが政治的な意味で犯罪とされ、処罰の対象とされるもの、すなわち、純粋な政治犯罪であることは明らかである。のみならず、原告の右行為は、前記のとおり、道義的にまたは社会的に非難さるべき普通犯罪とはなんらの関連もなく、また、わが国においては、およそ処罰の対象とならないものである。したがつて、特別法六条に該当する原告の前示行為は、純粋の政治犯罪であると解するを相当とする。

3  以上によれば、原告は純粋の政治犯罪人であるというべきである。

二  原告が本国(韓国)に送還される場合、処罰されることが客観的に確実であるかどうかについて

1  この点につき、原告は有罪判決を受けたとか或いは起訴されたとか、または逮捕状が発せられたとかを主張も立証もしないが、しかし、右の場合に限られず、客観的にこれらと同視すべき程度に処罰の確実性があると認められる事情がある場合もこれに当たると解すべきことは前示のとおりであるから、この点について検討するに、成立に争いのない甲第八号証ないし第一一号証、同第二二号証ないし第二五号証、証人朴徳万、同鄭泰植の各証言に原告本人尋問の結果を総合すれば、つぎの事実を認めることができ、他にこれに反する証拠はない。

昭和三六年五月一六日、軍事革命によつて成立した朴政権は、同年六月六日国家再建非常措置法を制定して、国会と内閣に属していた権力を一手に掌握し、革命裁判所を設置し、反共的体制を確立し、これに反対する一切の活動を禁圧するために、同年六月二一日前記の特別法を、同年七月四日反共法を、さらに同年九月九日集会臨時措置法をそれぞれ制定、公布した。そして、その具体的実行として、南北の平和統一、経済文化の交流等を唱導することは、北朝鮮の平和攻勢に同調するものであつて、右特別法に違反するとの方針のもとに、革命裁判所において、昭和三六年八月二八日民族日報事件につき、同社幹部八名に対し、死刑三名を含む重刑の判決が言い渡され、同年九月二七日革新党幹部六名に対し、懲役一二年等の重刑の求刑がなされ、同月二九日社会大衆党幹部七名が起訴され、ついで同月三〇日前年の四月学生革命を推進した民統学連の幹部九名に対し、懲役一五年等の重刑の判決が言い渡された。さらに、これらのほかにも、多数の国民が思想犯として処罰され、これらの者の一定の親族、知己に対してまでいわゆる連座制がしかれ、思想調査が行われるなど、その取締りはきわめて厳しいものであり、昭和四一年末当時、思想犯関係者の数は五、六万人にも達した。また、日本国から強制送還された者に対しては、韓国に上陸の際、特に北朝鮮との関係の有無について取調べがなされ、北朝鮮スパイの容疑等で多数が逮捕された。

2  以上認定の事実と前示のとおり、原告が行つた趙庸寿の救命活動が反政府的言動であるとして、本国(韓国)の国政を尊重し在日韓国代表部とも連絡のある民団中央総本部幹部から非難され、民団事務局長の職を失うに至つた事実を総合して考えると、原告が本国(韓国)に退去強制されるときは、本国において、前示の純粋の政治犯罪について相当の処罰を受ける客観的確実性があることを否定することはできないというべきである。

三  以上の次第で、原告は国際慣習法たる政治犯罪人不引渡しの原則の適用を受ける政治犯罪人であるというべきところ、本件処分は、送還先を韓国と指定した退去強制であつて形式上は上来述べてきた本国(韓国)への引渡しそのものではないが、退去強制令書の執行は、送還先に送還してなされるものであり(出入国管理令五二条三項)、その実質は本国(韓国)への引渡しとなんら異なるところはないから、政治犯罪人不引渡しの原則は、本件処分のごとき退去強制にも適用されると解すべく、したがつて、原告を本国(韓国)に送還することは、右の国際慣習法に違反するといわなければならない。ところで、確立された国際法規を遵守すべきことは憲法九八条二項に定めるところであり、同条項の趣旨とするところは、確立された国際法規の国内法的効力を認めるというにある。それゆえ、右の国際慣習法に違反する本件処分は、違法であるといわざるをえない。

第五結論

よつて、本件処分は取り消さるべきものであるから、原告の爾余の主張について判断するまでもなく、原告の本訴請求は理由があるのでこれを認容することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 杉本良吉 中平健吉 岩井俊)

別紙第一

新国家保安法

第一章 罪と刑

第一条 (反国家団体構成)

政府を僣称する国家を変乱する目的で結社または集団(以下反国家団体と称す)を構成した者は次の区別により処罰する。

一、首魁は、死刑または無期懲役に処する。

二、幹部または指導的任務に従事した者は、死刑、無期または五年以上の懲役に処する。

三、それ以外の者は、七年以下の懲役に処する。

第二条 (軍事目的遂行)

以下省略

別紙第二

特殊犯罪処罰特別法

第一条 本法は国家再建非常措置法第二十二条第一項に規定された犯罪行為を処罰するのを目的とする。

第二条 一、国会議員選挙に関連して刑法第百二十四条乃至百六十七条、二百五十条、二百五十七条または三百二十六条の罪を犯した者は死刑、無期または五年以上の懲役に処する。

二、前項の行為を命令、教唆した者、または助けた者も前項の刑と同じ。

第三条 常習的に金額五千万ホアン以上の物品を許可なく輸出または輸入した者は死刑、無期または十年以上の懲役とその物品の原価の二倍以上十倍以下に相当する罰金に処し、物品は没収する。

第四条 一、政務委員以上の地位と国会議員で刑法第七章公務員の昇進に関する罪を犯し犯罪が明白な場合は死刑、無期、または五年以上の懲役に処する。政党幹部職に居た者がその職位を利用して公務員の昇進に関する斡旋を行なうため、賄賂その他の利益を得るか、強迫した者も同じ。

二、前項以外の公務員でも前項の罪を犯した者は死刑、無期または三年以上の懲役に処する。

三、軍人として国防警備法第四〇条に該当する罪を犯し総五百万ホアン以上の利益を得た者は一年以上五年以下の懲役に処する。

四、前項の場合、第三者が得た賄賂は没収する。

第五条 一、五・一六軍事革命行為に関して故意にその情報を洩らすか革命行為を妨害した者は死刑、無期、または十年以上の懲役か禁固に処する。

二、前項の未遂犯も処罰する。

第六条 政党、社会団体の重要な職位に居た者で、国家保安法第一条に規定された反国家団体の情を知りながら、その団体あるいはその活動に同調、その他の方法でそれを助けた者は死刑、無期、または十年以上の懲役に処する。

第七条 団体を組織して常習的に暴行、傷害、恐喝、強迫、損壊、権利行使の妨害を行なつた者は次のように処罰する。

一、頭目または重要幹部は死刑、無期、十年以上。

二、前項以外の幹部は無期、五年以上。

三、前項の場合、殺人した者は死刑、無期。

附則

本法は公布日から三年六月までさかのぼつて適用する。

別紙第三

反共法

第一条(目的) 本法は国家再建課業の第一目標である反共体制を強化することによつて国家の安全を危地においやる共産系列の活動を封鎖し国家の安全と国民の自由を確保するのを目的とする。

第二条(定義) 本法で反国家団体というのは国家保安法第一条に規定した団体中、共産系列の路線に従い活動する団体をいう。

第三条(加入、加入勧誘) <1>反国家団体に加入するとか他人に加入するのを勧誘した者には七年以下の懲役に処する。<2>前項の未遂犯は処罰する。<3>第一項の罪を犯す目的で予備または陰謀を行つた者には五年以下の懲役に処する。

第四条(讃揚、鼓舞等)

<1>反国家団体とかその構成員の活動を讃揚、鼓舞またはこれに同調するとかその他の方法で反国家団体を利する行為をする者は七年以下の懲役に処する。このような行為を目的とした団体を構成するとかこれに加入した者も同じである。<2>前項の行為をする目的で文書、図画その他の表現物を製作、輸入、複写、保管、運搬、頒布、販売または取得した者も前項の刑と同じである。<3>前項の表現物を取得しながら遅滞なく捜査、情報機関にこの事実を告知する時には罰しない。<4>第一項第二項の未遂犯は処罰しない。<5>第一項第二項の罪を犯す目的で予備をしたとか陰謀した者には五年以上の懲役に処する。

第五条(会合通信等)

以下省略

別紙第四

集会臨時措置法

第一条(集会の禁止と解除)

一、経済開発事業推進に直接関係ある集会

二、農事教導事業のための集会

三、罹災民救護のための集会

四、再建国民運動のための集会

五、保健交通事故防止その他行政施策の啓蒙宣伝を目的とする集会

六、責任ある言論暢達と自律的な倫理を高めるための日刊新聞その他定期刊行物の発行人主筆編集人および記者の集会

七、各級学校学生の再建国民運動のための校外集会

八、体育および娯楽のための集会

九、社会団体登録に関する法律により登録された団体または、経済団体の定款の規定に依る総会任員会またはこれに準ずる集会

十、国家または地方自治団体が開催または主管する集会

十一、冠婚葬祭、宗教儀式に関する集会と劇場の開館

第二条(申告) 前条各号の集会をしようとする者はその目的、日時、場所、会合予定人員、主催者の住所、姓名を記載した申告書を遅くとも集会の二十四時間前に所轄警察署長に提出しなければならない。但し国家または地方自治団体が開催または主管する集会と冠婚葬祭、宗教儀式及び劇場の開館のための集会は例外とする。

第三条(罰則) <1>第一条の規定に違反して集会を開催する者は、五年以下の懲役に処し、その情を知りながら会合した者は二年以下の懲役に処する。

<2>第二条の規定に依る申告をしなかつた者は、五万ホアン以下の罰金または拘留科料に処する。

附則

<1> 本法は公布した日から施行する。

<2> 軍事革命委員会布告第一号の第三項第一号(集会の禁止)国家再建最高会議布告第四号及び国家再建最高会議布告第九号はこれを廃止する。

別紙第五

国家再建非常措置法

第一章 総則

第一条(国家最高会議の設置) 大韓民国を共産主義侵略から守り腐敗と不正から国家と民族の危機を救い、真の民主共和国を再建する非常措置として国家再建最高会議を設置する。

第二条(国家再建最高会議の意義) 国家再建最高会議は五・一六軍事革命事業完遂のため、総選挙が実施され新国民会議が構成されるまで大韓民国の最高統治機関としてその機能をもつ。

第三条(国民の基本権) 国民の基本的権利は革命事業遂行に牴触しない範囲で保護される。

第二章 国家再建最高会議の組織

第四条(構成人員)

(一) 国家再建最高会議は、五・一六軍事革命に主導的な役割を果たした国軍現役将校からなる最高委員で組織する。

(二) 最高委員の定数は二十人以上三十二人以内とする。

(三) 最高委員の選出は最高委員五人以上の推薦によつて在籍最高委員の賛成を必要とする。

(四) 最高委員は内閣首班を除く他の職務を兼任することができない。議長である最高委員は内閣首班を除き他の職務を兼任することができない。

第五条(議長と副議長選出) 国家再建最高会議は在籍最高委員三分の二以上の賛成で最高委員の中から議長一人副議長一人を選出する。

第六条(議長の職務)

(一) 国家再建最高会議(以下再建会議と略称)議長は再建会議の秩序を維持し、人事事務を監督する。

(二) 議長が事故の場合は副議長がその職務を代行する。

(三) 議長副議長がともに事故の場合は最年少の最高委員がその職務を代行する。

第七条(議決方法) 再建会議の議決はこの非常措置法憲法または再建会議の特別規定に基づき在籍員の過半数でこれを行なう。

第八条(常任委員会)

(一) 再建会議が一定の範囲を定め、委任する事項を処理するため、再建会議常任委員会を置く。

(二) 略

第三章 再建会議の権限

第九条(国会の権限行使) 国会の権限は再建会議が行なう。

第十条(予算案の議決) 予算案は在籍最高委員三分の二以上の出席と、出席最高委員の過半数の賛成で議決する。

第十一条(大統領の権限代行) 大統領が事故によつて職務を遂行できない場合は国家再建最高会議長、副議長、内閣首班の順でその権限を代行する。

第十二条(再建会議の権限) つぎの事項は再建会議の決議を必要とする。

(一) 軍事戒厳令の布告および削除。

(二) 連合参謀本部議長、各軍参謀総長、海兵隊司令官の任命とその他軍事に関する重要事項。

(三) 名誉の授与、ひ免、諮問、復権に関する事項。

(四) 検察総長および各級検事長、審議院長、監察委員長、国立大学総長、大公使その他法律によつて規定された公務員と、国内有企業体管理者の任命に対する事項。

第十三条(内閣に関する事項)

(一) 憲法に規定された国務院の権限は、再建会議の指示と統制により内閣がこれを行なう。

(二) 内閣は再建会議にたいし連帯責任を負う。

第十四条(内閣の組織)

(一) 内閣は内閣首班と閣僚で構成する。

(二) 内閣首班は最高会議が任命する。

(三) 内閣首班の任命は在籍最高委員過半数賛成で行なう。

(四) 閣僚は再建会議の承認を得て内閣首班が任命する。

(五) 閣僚人員は十人以上十五人以内とする。

第一五条(内閣の総辞職と閣僚解任)

(一) 再建会議は在籍最高委員三分の二以上の賛成で内閣の総辞職を認めることがなきる。

(二) 再建会議は在籍最高委員過数半数の賛成で閣僚の解任を認めることができる。

第十六条(閣僚の発言) 内閣首班と閣僚は再建会議に出席して発言することができる。

第十七条(略)

第十八条(大法院の組織と大法院長および大法院判事の任命)

(一) 大法院は大法院長と大法院判事で組織する。

(二) 大法院長と大法院判事は再建会議推薦で大統領が任命する。

第十九条(法官の任命)

(一) 法院と法院行政処長は再建会議の承認を得て大法院長が任命する。

(二) 地方法院長級以上の任命は再建会議の承認を得て大法院長が行なう。

第二十条(地方自治団体の長の任命)

(一) 各道知事、ソウル特別市長、各市長、郡守の任命は再建会議の承認を得て内閣が任命する。

(二)面邑(注=日本の町、村にあたる)の長は道知事が任命する。

第四章 その他

第二十一条(非常措置の改正) 非常措置法の改正は最高委員十人以上の提案を在籍三分の二以上の賛成で行なう。

第二十二条(特別法) 革命以前または以後の反国家的、反民族的な不正行為または反革命行為者を処罰するため特別法を制定できる。

(二) 前項の事件を処理するため、革命裁判所と革命検察部を設置することができる。

第二十三条(一) 憲法の規定のうち国会に関する規定は国家再建最高会議と内閣にそれぞれ適用する。

(二) 略

第二十四条 憲法の規定中、措置法に牴触する規定は措置法による。

附則 この非常措置法は公布の日から施行する。

【編注】ドイツ語の表記について、一部の古いブラウザーでは「?」と表示されます。

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例